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English Japanese

With Bartender

Exploring the journeys and the thoughts that shape globally active bartenders behind the bar.

2026.06.02

百瀬ジュリア

Bar「kumiko」オーナーバーテンダー

バーテンダーの美しい動きはバレエダンサーに似ていると思います

百瀬ジュリアさんは日本で生まれ高校卒業まで日本で育ち、大学入学を機に渡米されました。彼女のバーテンディングの美しさは世界でもピカイチです。笑顔を絶やさぬ温かな接客、料理に合わせてお客様一人一人にマッチしたカクテルなどのドリンクを提供する独自のスタイル、本格焼酎や日本酒に関する造詣も深く、お客様のお酒に関する疑問にも的確に答えてくれます。シカゴのBar「kumiko」が「The World's 50 Best Bars」上位に選出され、「TIME」誌の「World's Greatest Places」、「Esquire」誌「The Best Bars in America」に取り上げられるのも頷けます。ジュリアさんがバーテンダーを志したきっかけ、Bar「kumiko」で表現する世界感などを前編と後編に分けてご紹介します。

文:鈴木昭 / 写真:三井公一 / 構成:Contentsbrain 取材場所:「Bar TANNEL」(大分県別府市北浜1-12-2)




記憶に残るバレエダンスのようなバーテンダーの動き

――ジュリアさんがバーテンダーを志したきっかけはどんなことでしたか。

知人と一緒に入った京都の祇園のバーで、バーテンダーの繊細で美しい動きに魅了されました。一つ一つの動きに流れがあり、優雅な手捌きで美味しいものを作る姿はまるでバレエダンスのようで。そのときのことが、鮮明に記憶に残りました。その経験を通じて、いつか私も誰かのために、そんな優雅なひとときを届けられたらいいなと思いました。

――印象深い体験だったんですね。その出来事をきっかけに、バーテンダーを目指されたんですか。

いえ、その時はまだ学生で、アメリカの大学に進学すると決めていました。大学卒業後は日本に戻って働くつもりだったので、帰国した際に良い仕事に就けるようにしたくて選んだのがコーネル大学でした。



――アイビーリーグの名門校ですね。受験勉強は大変だったのではないですか。

結構勉強はしましたよ。入試では論文が重視されていました。私の苗字は百瀬といい、生まれも育ちも日本ですが、父がアメリカ人と日本人のハーフ、母は日本人で、私はクオーターの日本人です。顔は日本人ぽくないですけれど、考え方や心は日本人だと思っています。この顔で日本で生活していく。その気持ちを掘り下げて考えて、論文のテーマにしました。何かに所属することとか、外面的なものと中身とは一緒ではない、といったことをまとめて書いて、なんとか合格することができました。

専攻はDEA(Design and Environmental Analysis)というコースです。日本ならインテリアデザイン専攻に近いかな。キャンパスはニューヨーク州の北部、Ithaca(イサカ)という街にあり、豊かな自然に囲まれた美しい場所です。アメリカの私立大学の学費はとても高いので、アルバイトすることは覚悟していました。そのときに思い浮かんだのが京都のバーの光景。アルバイトはバーテンダーの仕事をしたいと思いました。



YouTubeなどの動画を見ながらカクテルづくりを独習

ところが、アルバイト先に見つけたバーは、女性、あるいは彼らの言葉で言うなら、“女子大生”をバーテンダーとしては雇わない、という基本的なポリシーがありました。マネージャーはイサカ生まれのイサカ育ち。自分のバーを守るという気持ちが強かったのでしょう。また、スタッフのほとんどが地元の人だったので、素人の女子大生をバーテンダーとしては雇いたくなかったのだと思います。

彼女(マネージャー)の方針に疑問を抱くことはありませんでしたが、とにかく自分の力を試すチャンスがほしいと思いました。まずは(ホールの)ホストやサーバー、カクテルサーバー、そしてバーバックとして働きました。カクテルについて学び、常連さんとも親しくなっていき、働き始めてから半年以上経ったある日、マネージャーが、土曜日のブランチのバーテンダーのシフトに入ることを許可してくれたんです。本当にうれしかった。その後は、(バーテンダーとして)シフトに入る機会も増え、さらに学ぶことができました。

――お店のマネージャーはよく方針を変えてくれましたね。

私にとって、自分の力を証明することはとても大切でした。きっと、お店では過去にあまり良くない経験があって、そうした方針にしていたのだと思います。今でもその店はあります。「Rulloff’s」というバーです。ここで人との接し方、素早く動く身のこなし方などを学びました。

「Rulloff’s」の他に、大学の「コーネルcatering」のサービスとして、投資家主催のパーティーや同窓会などでも働きました。こうしたイベントはキャンパスのいたるところで、あるいは一部の個人宅などでも催されていました。



そういった集まりの場ではスタンダードカクテルが人気だったので、YouTubeなどで動画を見ながら一人で何度も練習しました。自宅にカクテルのセットを用意しての独学です。日本のバーテンダーの大会の動画などはとても参考になりました。それからクラシックバレエの動画もよく見ました。京都のバーで感じたように、バーテンダーの動きはバレエダンサーに似ていて強くて優雅だと思いました。



――バーでのアルバイトは大学を卒業するまで続けたのですか。

実は私、大学を3年で自主退学したんです。大学に入学してから、友達が立て続けに亡くなるという出来事がありました。原因は病気や自殺でした。心が痛くて痛くて。バーで働いている最中にも心が痛くて、お客さんとのコミュニケーションを取ることもつらくなり。もうここにはいられないという気持ちになりました。何をしていても思い出してしまうのです。

それで一度、実家に戻って気持ちを立て直そうと思い、休学届けを出して帰国しました。その時点ではまた大学に戻り、卒業しようと思っていました。結局復学せず、職業としてバーの世界に本格的に進むことになったのですけれどね。



――退学することを聞いて、日本のご両親は驚かれたでしょう。

すごく心配してくれはって(編集部注:ここは、京都弁になりました)。父も母もとても優しい人です。いつも私のことを心配してくれている気がします。それだけに申し訳ないという気持ちも強かった。



神戸のバーテンダーの丁寧な仕事を見ていて気持ちが固まった


――休学後、大学には戻らずにバーの世界に進むことになったのはなぜでしょうか。

私は大学で学ぶデザインの勉強も好きでしたが、いつかは自分のバーを開きたいと考えていました。日本に帰ったとき、友達とたまたま訪れた神戸のバーの印象が大きかったと思います。そのお店では、オーナーバーテンダーが全ての仕事を一人でこなしていました。内装デザインもご自分でなさったそうです。

彼はひとつのカクテルのために、四角い氷を丁寧に削って丸氷を作っていました。どんなにシンプルなハイボールでもラムコークであっても丸氷を一つ一つ丁寧に作っていた。お客さんのために一番いいものを出したい、という気持ちが伝わってきました。

その姿を見ていて、私も自分のバーを開く時は自らの手で内装のデザインをして、接客も一人で丁寧に行いたい。一つ一つの小さなことの積み重ねが大切だと感じました。そんな自分なりのお店のイメージが出来上がりました。その時に決意しました。「私は30歳になるまでにそれを実現するぞ」って

その後アメリカに戻り、大学で退学の手続きをしてから、ボルチモアに向かいました。最初に働いたお店はファミリー向けのカフェバーレストランで、バーコーナーではシンプルなカクテルが中心で、凝ったカクテルを出すようなお店ではありませんでした。

その頃、友達に「RYE of Baltimore」というカクテルバーに連れて行ってもらったのですが、とてもこだわりを感じる、雰囲気のいいお店で気に入りました。ある日、「RYE」のオーナーが私の働いていた店に来てくれて、私は彼のためにいろいろなカクテルを作ったことがあったのですが、その後、彼から「RYE」で働かないかと誘われて、その縁で働かせてもらうことになりました。

「RYE」はマンハッタンやサゼラック(Sazerac)といったオールドファッションなスタンダードカクテルが中心のお店でしたが、フルーツカクテルなど新しいカクテルも出していました。近所のレストランのシェフやバーテンダーもちょくちょく来るお店でした。私は彼らの2店舗目のオープンを手伝い、そこで自分のレシピに対してよりクリエイティブに取り組むことになりました。


ある日、シェフがキッチンから色々な材料を持ってきて、これでカクテルづくりにチャレンジしようと言い出して、私は焼き芋も試してみました。塩をかけて焼いたら、芋の中にある糖分が出てきて、キャラメルのような味になりました。それをバーボンに入れて、味をつけて、「オールドファッションド」を作ってみたら、それがお店で人気のカクテルになったんです。

このカクテルのレシピは、私の書いた書籍「The Way of the Cocktail」⋆1にも載せました。「Yaki-imo Old Fashioned」と名付けたカクテルです。

⋆1 「The Way of the Cocktail: Japanese Traditions, Techniques, and Recipes」(共著:Julia Momosé、Emma Janzen、出版社:Clarkson Potter、発行:2021年11月9日)


ある日、友達が、「Julia, you should go some more bigger.」(もっと大きな都市に行きなさい)とアドバイスしてくれたんです。NYでもLAでもサンフランシスコでもいいから、ボルチモアにとどまらないで、大きな都市に行くべきだって。それで心を決めて2013年にシカゴへ行くことにしました。そこで働くことになったのが「The Aviary」です。



2018年、シカゴに自分の店をオープン

――シカゴの印象はどんなものでしたか。

シカゴは大きな街だけど、その中に小さな町がある感じです。シカゴの人はとても優しい。彼らは厳しい冬を耐え抜いて、夏が訪れるとその喜びを存分に祝うとても勤勉な人々でもあります。少しの間ならこの街に住めるかもしれないと感じました。

この頃、自分の人生の長期プランを立てたんですよ。シカゴの次はサンフランシスコに行き、それからシンガポールに行こうと。シンガポールは面白いバーが次々にオープンしていますから。それにシンガポールなら距離的にも日本に帰りやすいかなって。でもシカゴに来てもう12年、いまだにシカゴにいますけれどね(笑)。


――シカゴに移ってからは、どんなお店でお仕事をされたんですか。

「The Aviary」でバーチーフとして2013年から2015年まで2年間働き、その後、「Green River」という、NYの「The Dead Rabbit」とダニー・マイヤーさんのコラボのレストランで働きました。レストラン向けのカクテルメニューがたくさんある面白いバーで、そこのオープニング・バーテンダーとしてカクテルメニューのレシピを書きました。

2017年からは「Oriole」でスピリットフリーのペアリングを作ったり、カクテルのメニューを書いたりと、バーコンサルタントとしても働き始めました。それから間もなくして、シェフのノア・サンドバル(Noah Sandoval)が一緒にバーを開こうと誘ってくれて、Bar「kumiko」を開くことを決めました。シカゴ市内のウエストループ(West loop)と呼ばれる飲食店が多く集まる地区です。お店をオープンするまでは「Oriole」の仕事のほか、「STARBUCKS RESERVE® ROASTERY」の5店舗(シアトル、イタリア・ミラノ、東京・中目黒、シカゴ、NY)のドリンクメニューのレシピも書いたりしていました。





スタッフのウェルビーイングが一番大事。それでこそより良い接客ができるのです

Bar「kumiko」は2018年にシカゴにオープン。料理に合わせてお客様一人一人にマッチしたカクテルを提供する独自のスタイルが注目されました。しかし2020年のコロナ禍で飲食店の営業が一時中止となり、バー業界も深刻な経営危機に直面しました。そのときシカゴ市当局に対してカクテルのテイクアウト販売の認可を求めて「Cocktail for Hope」というキャンペーンを立ち上げたのが、ジュリアさんを中心とした3人のメンバーでした。粘り強い交渉の結果、認可を得て、バー存続の強い手立てとなりました。後編ではお店の名前の「kumiko」に込めた思い、社会活動の思い出などを伺いました。

文:鈴木昭 / 写真:三井公一 / 構成:Contentsbrain
取材場所:「Bar TANNEL」(大分県別府市北浜 1-12-2)




完成までに辿り着く時間とプロセスを大切にしたい

――30歳までに自分の店をオープンするという目標を立てられていましたね。

Bar「kumiko」を開いたのは2018年の大晦日。その翌月の1月に30歳になったので、目標をぎりぎり達成です(笑)。


――お店の「kumiko」という名前はどのように付けたのですか。

名付けには悩みましたよ。そこで、お店の方針を書き出していきました。

パッションとケア(一つ一つ丁寧にやること)。料理の材料にはできるだけ自然なものを使う。モダンではなくて、昔から使われているテクニックにフォーカスすること。出来上がるカクテルや料理が一番大事なのではなくて、そこまで辿り着く時間とプロセスを大切にすること。

「kumiko」は日本の木工の伝統工芸の一つである組子細工⋆1から付けました。組子細工が作られるプロセスを見ると、最初は木から始まります。木は種を播いてから成長するまでに何十年もかかる。切り倒してもすぐに材木としては使えないし、何年間も乾かさないといけません。そういった忍耐も大事だし。その木を細かく削って細工をしていく職人さんは何年も働いて練習して、やっと綺麗な柄を作れるようになる。それがすごいなと思った。お店の方針に通じると考えて「kumiko」と命名しました。

⋆1 組子細工:釘などを使わずに、細い板や木片を手作業で1本1本組み合せて、精緻な紋様を編み出す日本の伝統的な木工技術の一つ。屋内の内装などに使われる。

三和酒類さんの素晴らしい本格麦焼酎も、農家の方が大麦を育てて収穫し、三和酒類さんがそれらの大麦と良質な水から、いくつもの工程を経て製品をつくり上げる。私たちの手元に届くまでに時間と労力が費やされるのです。そうしたことにも思いを巡らせて、カクテルを作ることが大事だと思っています。一つ一つの氷、果物、ジュース、スピリッツもどこからきているのかを調べて、リスペクトして、カクテルというexperienceを作っていく。それが私の働き方であり、私のインスピレーションの源です。

バーの後ろの壁面に2つのパネルがあり、それを観てもらえれば組子とはどんなものか分かってもらえると思います。麻の葉とゴマの絵柄です。それぞれ意味が込められています。麻の葉は悪いものが外から入らないように守ってくれる、ゴマは健康で幸せをもたらすと言われています。「kumiko」では、そんな願いを込めてカクテルや食べ物を出しています。お客様が安全な場所で、美味しいものを食べて、飲んでもらって、長く幸せに人生を生きていけたらいいな、という気持ちをこの組子細工のパネルで表現しています。




スタッフがいるからこそBar「kumiko」は特別

――バーのオーナーとしては日頃どんなことに気をかけていますか。

お店のスタッフ(私のチーム)のウェルビーイング(幸福度)と安全が最優先です。世の中では女性がバーテンダーをしていると、嫌なことを言われたり、一緒に働く男性スタッフからイライラさせられたりすることがあるかも知れません。Bar「kumiko」において、私はスタッフが一番大事だし守りたい。スタッフがいるからこそBar「kumiko」は特別だと思っています。

安全な場所で働くことで、より良い接客ができると考えています。自分の安全に気を取られていては、お客様のことが考えられない。安心して集中してお客様に素晴らしいサービスができるようにしたい。まずは(チームが)お互いを大切にする。それができてこそ、お客様により良いおもてなしができると思います。

でも私って怖くはないはずですけれど、ぜんぜん優しくない(笑)。私は多くを求めるし、かけてる期待も高いんです。自分には一番厳しい。お互いに尊敬し合ってやっていくのが大切だと思っているので、安全で、真面目に、素直でいられて、良い時間を過ごせる場所になるように努めています。


――日本の料理とカクテルとのペアリングが楽しめるというコンセプトはどこから考えたのですか。

もともと私自身が、ワインバーとかダイニングバーが好きなんです。食べながら飲めて、お酒とのペアリングもできるお店。ワインとかビールだとそういう店が多いのですけど、料理とカクテルとのペアリングというお店はあまりなかった。そこで、料理に合わせて、本格焼酎とか日本酒などをベースに使い、日本の材料を使ったアルコール度数の比較的低いカクテルを作りたいと考えました。

オープン当初は、バーのカウンター席でテイスティングメニューを出していました。一つ一つの料理にペアリングとしてのドリンクを6種類ぐらい用意して、ワインやビール、それにカクテル2、3種類と、アルコールフリーのレシピです。お客様は1度に8人くらいまでにして一人一人と会話をして、それぞれどういう飲み物が好きか、アルコール度数は高いものがいいか低いものがいいかなどを聞いて。個別にペアリングメニューを作りました。みなさんに同じ料理を食べてもらうけれど、ペアリングのドリンクはみんな違う。それはとても難しいことでしたけれど、やってみてとても楽しかった。この経験が私たちにミシュランの星をもたらしました。




パンデミックに立ち向かう

そんなタイミングに、新型コロナウイルスのパンデミックが始まってしまいました。あの時期はもう大変でした。アメリカは2020年3月13日に「国家非常事態」を宣言。3月17日には全てのバーとレストランを閉めなさいということになったんです。私たち飲食業界の関係者はどう対応すればいいのか分からなくて途方にくれました。

お店でカクテルを飲むことができないのなら、バー側はテイクアウトできるカクテルを作りたいという気持ちが強かった。けれど、シカゴ市では法律的にダメだと言う。ある役人は、一つ一つの問題は市長が決めることだと言ったけれど、イリノイ州のコミッショナー(商務・コミュニティー・経済開発担当)は、彼らが法律を決定すると言っていた。それぞれの立場で違うことを言っていました。


――このままでは市内のバーが潰れてしまう。

なんとかしないといけない、と思いました。そこで、テイクアウトの許可を求めて、「Cocktail for Hope」というキャンペーンを始めたんです。メンバーは私とBar「kumiko」の常連のお客様と、飲食業界に詳しい弁護士の3人でした。嘆願書を出すために署名運動をしてイリノイ州の知事に手紙を書きました。続いて、バーの窮状を訴えるビデオを作りました。それを公開したら、イリノイ州の担当者が話をしようと言ってきたんです。


ようやくその頃、メディアも私たちの窮状に気づいて、記事にしてくれて。そこからは色々な人が一緒に電話をかけたり署名活動に協力をしてくれるようになりました。上院議員も新しい法律を書いて議会にかけてくれた。こうして非常事態宣言から3カ月後の6月、シカゴ市内のバーで、カクテルを瓶詰めしてラベルを書いて、それにシールを貼って売るならば許可するという法律を決めてもらえました。


――キャンペーンを始めるのはすごい勇気が必要だったんじゃないですか。たった3人でよく頑張れましたね。

運動を始めた頃は本当に怖かったです。でも、アメリカの会社員なら失業手当が出るけれど、バーテンダーは基本的にチップ制なのでそもそも給料は低くて、仕事がないと十分にお金がもらえない。私のバーだけでなくシカゴの全てのバーの人々が働けるようにしたい。そう考えると勇気が出ました。自分だけのことではなく、みんなのためなので頑張れたのかな。

本格焼酎を使ったカクテルについて


――ジュリアさんは本格焼酎を使ったカクテルも作っていますが、アメリカ市場で本格焼酎の可能性をどう考えていますか。

世界的には本格焼酎の知名度はまだ低いです。アメリカでは5年前と比べれば本格焼酎を見ることが多くなったけれど、まだまだだと思います。カクテルに使えば、それが1つのチャンスになる。お客さんは、「あ、これ美味しい。何が入っているの」と気楽に聞いてくると思います。そこで本格焼酎ですよって答えられる。

Bar「kumiko」の1階は和風ダイニングバーですが、地下1階のバーはカウンター席で、ジャパニーズウイスキーと本格焼酎だけを置いています。お客様は特別な日本のスピリッツへ導かれます。それが本当にうれしい。やっと本格焼酎が、私たちのアラカルトのフードメニューと並んで認知されたんだなと思うんです。少なくともこのバーの10席では。


――本格焼酎を初めて飲んだときのお客様の反応ってどんな感じですか。

結構びっくりする方が多いです。多くの人は焼酎のことは知らないので、日本のウオッカやウイスキーと思う人が多い。でも、本格焼酎というのは、麦焼酎は麦、芋焼酎はサツマイモといった原料の風味を味わえるスピリッツです。それをお客さんは喜んでくれます。あ、本格焼酎ってこんなに美味しいんだ、ユニークで飲みやすいんだって。


――麹やそれをつくる麹菌とは何かというのは、アメリカでは説明が難しいですよね。

英語では「mold」じゃないですか。それを言うとまずは怖がられます。アメリカでは口に入れたくなるような言葉ではない。でも、「It’s used for Miso, Soy sauce.」と言えば、ああそれなら安心して飲めます、というように印象が変わります。麹をつくる麹菌には黄麹菌、黒麹菌、白麹菌と種類があって、麹菌の種類が違うと全然違う味や風味の本格焼酎が出来上がるんですよ、といったこともお話しすると興味を持っていただけますね。

もしも麹がなければ本格焼酎は存在しないので、麹というのはとても大切な材料です。本格焼酎って、アルコール度数25度くらいが一般的ですが、さらに水を加えても美味しく飲めるというのは、私はすごいと思うんです。ウイスキーとかラムなどのスピリッツに水を足すと、味わいがゆるくなってしまうことがあります。

本格焼酎は、度数にかかわらず水と相性がいいです。それは麹のスピリッツの奥深さの証でもあります。カクテルはもちろん、シンプルにお湯割り、お茶割りでも美味しい。その美味しさをお客さんに知ってもらいたいです。そのあとで、そのままストレートでも飲んでもらいたいと思います。こうした伝統的な日本の提供スタイルが、本格焼酎の魅力を最大限に引き出してくれます。私は、焼酎カクテルという新たなカテゴリーを創り出すチャンスがあると信じています。それは、とてもワクワクするコンセプトですよね。

本格焼酎にもいろんな種類があるので、一人一人のための本格焼酎があると私は思います。ある人はあまり美味しくなかったと言ったり、ああ本格焼酎って韓国の「ソジュ」じゃないんですねと言ったり。お客様とそういう会話をするのも楽しくて。もしこういう味が好きじゃないなら、この本格焼酎を飲んでみたら、とかお勧めする。「There is always something for you.」ってよく言うんです。その人のための焼酎を、対話しながら見つけていく。バリエーションがあるのは本格焼酎の普及にとってもいいことだと思います。


百瀬ジュリア(ももせ じゅりあ)
Bar「kumiko」オーナーバーテンダー 日本の古都、奈良市生まれ、京都市育ち。高校まで日本で過ごし、コーネル大学入学を機に渡米。学生時代にニューヨーク州イサカのバー「Rulloff's」でバーテンダーとしてのキャリアをスタート。2010年、メリーランド州ボルチモアに移住、「RYE of Baltimore」などで経験を積み、1年半後に同店のバーメニュー考案者としても頭角を現す。2013年から2年間、シカゴのバー「The Aviary」でバーシェフ、トップバーテンダーを務める。その後 「Green River」に移り、ヘッドバーテンダーとして在職中に初のミシュランスターを獲得。レストラン「Oriole」でカクテルプログラムを担当。「STARBUCKS RESERVE® ROASTERY」のカクテルバー「ARRIVIAMO™ BAR」のカクテルの考案でも注目された。2018年、共同創業者と共にBar「kumiko」をオープン。2020年3月のコロナ禍に際し、「Cocktail for Hope」⋆²というキャンペーンを立ち上げ、卓越した行動力でシカゴ市内のバーの窮状を救う一助となった。著書「The Way of the Cocktail: Japanese Traditions, Techniques, and Recipes」(2021年、共著)は2022年にジェームズ・ビアード賞(James Beard Foundation Award)を受賞した。

⋆² 「Cocktail for Hope」: 2020年3月末、パンデミックのさなかに ジュリアさんが中心になり立ち上げたバー救済のためのキャンペーン。テイクアウトできるカクテル販売の許可を求めて署名運動などを行い、NYなどに比べて対応が遅れていたシカゴ市を動かした。ボトルドカクテルの販売が可能となり市内の多くのバーが救済された。