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顕微鏡も何もない時代、経験と勘を頼りに試行錯誤を続け、発酵文化を作り上げた

作成者: WA-SPIRITS|2025/06/16 15:22:30
トップの画像は多数の胞子をつけた麹菌の顕微鏡写真(写真提供:中島春紫/明治大学教授)

麹菌をはじめ微生物に関する遺伝子レベルでの最先端の研究をする中島春紫(なかじま・はるし)教授が登場。日本酒や本格焼酎、味噌(みそ)も醤油(しょうゆ)も、麹菌とそれを使った麹がなければつくれません。今回は日本伝統の麹と発酵文化について解説していただきます。

⇒後編 「うまみ成分の調味料アミノ酸は発酵技術を使って微生物が生成しています」

 

解説者: 明治大学教授 中島 春紫
取材・文:井上健二 / 写真:三井公一 / 構成:Contentsbrain

 

黄麹菌は日本人が飼い馴らしたカビ

日本の麹を使った「伝統的酒造り」が2024年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。麹を使うところがウイスキーやジン、ウオッカなどとの大きな違いですね。麹菌はカビの一種。改めて定義すると、カビのうち、食品に用いられる有用なカビを麹菌と呼びます。

主な麹菌には、その色合いや用途から「黄麹菌」「黒麹菌」「白麹黄」「醤油麹菌」などがありますが、単に麹菌というと「黄麹菌」を指します。黄麹菌は事実上、日本特産であり、日本以外では見つかりませんでした。なぜなのか。それは日本人が国内で見い出して飼い馴らしたカビだからです。

中島春紫教授(明治大学農学部の研究室にて)

黄麹菌の学名は「Aspergillus oryzae(アスペルギルス・オリゼー)」。現在見つかっている黄麹菌はすべて、日本全国の酒蔵、味噌蔵、醤油蔵などで発見されたものです。麹を育てる麹室⋆¹は温度30℃前後、湿度60%前後で極めて清潔に保たれています。ちなみに、蔵元に「麹室を見せてください」と頼んでも、外部の人間にはなかなか応じてくれません。雑菌が入り込むことを警戒しているのです。

⋆¹ 麹室(こうじむろ):酒や味噌、醤油づくりに重要な麹を製造する専用の部屋のこと。蒸した穀物に麹菌を繁殖させることで麹を製造する。米に麹菌を繁殖させたものを米麹、麦だと麦麹ができる。

黄麹菌はカビ毒を作る遺伝子が壊れていて二度とカビ毒がつくれない

アスペルギルス・オリゼーの元になったのは、「Aspergillus flavus(アスペルギルス・フラバス)」というカビと考えられています。アスペルギルス・フラバスは、カビ毒のなかでも、もっとも危険で発がん性も高いアフラトキシン類を作り出します。凶暴なイノシシを家畜化したものがブタなら、アスペルギルス・フラバスを家畜化したのがアスペギルス・オリゼーなのです。

アスペギルス・オリゼーとアスペギルス・フラバスを電子顕微鏡で観察しても、私にもその違いは分かりません。でも、遺伝子解析をしてみるとアスペギルス・オリゼーでは、カビ毒を作る遺伝子が壊れており、二度とカビ毒がつくれないようになっています。

カビ毒は、限られた栄養を奪い合うライバルを駆逐するためのもの。カビ毒をつくらないアスペギルス・オリゼーは野生では生存上不利です。しかし、日本人の手で飼われているならばカビ毒は必要ありません。代わりに、胞子内に複数の細胞核を持つことで性質が安定し、アミラーゼなどの有用酵素を作る遺伝子が増幅しています。その性質は、発酵食品づくりには有利です。

発酵食品をつくる際に大活躍する「麹菌」の顕微鏡写真(写真提供:独立行政法人酒類総合研究所)

日本では700年前に黄麹菌を商品化して販売していた

昔の日本人は麹菌をどのように見つけ出して、選び抜いて培養してきたのでしょう。麹菌は微生物とはいえ、顕微鏡なしでも肉眼で見て、触れて、匂いを嗅ぐことができます。昔の日本人は五感をフルに使って試行錯誤しながら選別を何度も繰り返し、ついには発酵に最適な黄麹菌を育て上げたのでしょう。

「黄麹菌」が繁殖した米麹(写真提供:独立行政法人酒類総合研究所)

その時期は、室町時代(1336~1573年)のことと言われています。純粋培養した黄麹菌を使った麹を酒蔵などに売る「種麹屋(たねこうじや)」⋆²が日本各地に誕生して、同業者同士で「麹座」と呼ばれる組合が結成されていきました。当時の室町幕府は税金確保のために酒蔵に麹を卸す麹座を保護したという記録が残っています。世界初のバイオ産業ですね。


⋆² 種麹屋:味噌、醤油、日本酒、焼酎などの醸造物をつくるための優良な麹菌を培養し、その胞子を集めて商品化して醸造メーカーに売ることを生業とする。「もやし屋」とも呼ばれる。

黄麹菌の純粋培養につながるイノベーションが、「木灰(きばい)」の導入です。木灰とは、クヌギなどの落葉樹を焼いて作った灰。これを蒸した米に生育中の黄麹菌をまくと、pHが一気にアルカリ性に傾いて乾燥するため、ほとんどの雑菌は死滅します。黄麹菌にとっても生育環境が一気にアウェーになりますから、「ここにいてはマズいから、離脱しよう」と胞子を作るスイッチが入ります。種麹屋はこうして作られた胞子を集めて、販売していたのです。

泡盛や本格焼酎に使われる黒麹菌、白麹菌の特徴

黒麹菌も、黄麹菌と同じように、自然に存在する菌種を長い時間をかけて選別して培養してきたものだと考えられます。

「黒麹菌」が繁殖した米麹(写真提供:独立行政法人酒類総合研究所)

糖分の多い環境では、酵母と乳酸菌はライバル関係にあります。酒づくりではアルコール発酵する酵母の活動を促し、乳酸発酵する乳酸菌をいかに抑えるかが問われます。乳酸菌は30〜40℃で活発に働き、10〜15℃になると急に元気がなくなります。その性質を利用して、冷蔵設備のない時代、日本酒づくりはいちばん寒い時期に行われてきました。いわゆる「寒づくり」です。

日本列島の南方に位置しており、温暖で寒づくりが難しい九州や沖縄などでは、日本酒づくりに黒麹菌、学名はAspergillus luchuensis(アスペルギルス リューチューエンシス)」が黄麹菌の代わりに用いられました。黒麹菌は、乳酸よりも強い酸であるクエン酸を多く作り、暖かい風土でも乳酸菌などの雑菌の繁殖を抑えてくれます。

酵母は乳酸菌よりも酸に強いので、アルコール発酵が進行してお酒ができます。ただし、そのままでは酸っぱくて飲めないので、蒸留してアルコール分を回収し、焼酎として飲む食文化が生まれたのです。

 

「白麹菌」が繁殖した米麹(写真提供:独立行政法人酒類総合研究所)

白麹菌は黒麹菌の突然変異種です。白麹菌の学名は「Aspergillus luchuensis mut. Kawachii (アスペルギルス リューチューエンシス ミュット カワチ)と言います。クエン酸を大量につくる特徴は持ちつつも、醸造工程で作業服への汚れが少なく使い勝手の良い菌として、「麹菌の神様」と呼ばれた河内源一郎(かわち・げんいちろう)氏⋆³が分離しました。1950年代に九州地方に広まり、本格焼酎メーカーの多くが利用するようになりました。


⋆³ 河内源一郎:1883~1948年。大蔵省技官から化学者、実業家として活動。1910年に河内黒麹菌の培養に成功、1923年に河内白麹菌を発見。

こうした発酵に関する科学的な説明は、すべて後知恵。顕微鏡も何もない時代、経験と勘を頼りに試行錯誤を続け、発酵文化をつくり上げた先達には頭が下がります。


⇒後編「うまみ成分の調味料アミノ酸は発酵技術を使って微生物が生成しています」

 

PROFILE: 中島春紫(なかじま・はるし)

明治大学農学部農芸化学科微生物生態学研究室
東京大学大学院農学研究科博士課程修了。農学博士。東京工業大学助手、東京大学大学院農学生命科学研究科助教授、明治大学農学部農芸化学科助教授を経て、2007年から同教授(現職)。パン酵母、有機溶媒耐性細菌などの研究を経て、現在は麹菌が作るタンパク質であるハイドロフォービンの研究に注力する。遺伝子組み換え実験教育の普及、食品安全行政、国際生物学オリンピックなどにも取り組んでいる。発酵食品を愛し、本格焼酎の中では麦焼酎を好む。