
麹菌をはじめ微生物に関する遺伝子レベルで最先端の研究をする中島春紫(なかじま・はるし)教授。今回は「甘味」「塩味」などの基本味の1つ「うまみ」と麹菌との関係について。さらに麹菌と同様にカビが欠かせないチーズのこと、中国の代表的な「黄酒」「紹興酒」とカビの関係を解説していただきます。
⇒前編「顕微鏡も何もない時代、経験と勘を頼りに試行錯誤を続け、発酵文化を作り上げた」
解説者:明治大学教授 中島 春紫
取材・文:井上健二 / 写真:三井公一 / 構成:Contentsbrain
世界共通語となった
5番目の基本味「UMAMI」
麹菌の利用をはじめ、日本では食品を中心に発酵の技術革新が進んでいます。基本味⋆¹として5番目に加わった「うまみ」は、100年以上前に日本人が提唱したもの。その後、舌にあるうまみの受容体が発見されて世界的に認められるようになり、「UMAMI」として世界共通語となりました。
⋆¹ 基本味:食品の味わいを構成する基本の味。長らく「甘味」「塩味」「酸味」「苦味」の4つとされていたが、1908年に東京帝国大学教授の池田菊苗(いけだ・きくなえ)博士が発見したグルタミン酸ナトリウムの味わいがこの4つで説明できないことから、第5の基本味として「うまみ」の存在を主張。2002年、この「うまみ」に特異的な味覚受容体が発見され、基本味に加えられました。
うまみ成分のグルタミン酸ナトリウムという調味料アミノ酸は、発酵技術を使って微生物が生産しています。アルギニンやシステインといった他のアミノ酸も、世界に先んじて発酵技術を用いて生産に成功しており、20世紀における日本の10大発明の一つとされています。それを牽引しているのが、我々が専門としている農芸化学の分野です。
麹菌などの微生物の応用研究の第一人者、中島春紫教授
麹菌の研究は日本以外ではあまり進んでいません。そもそもヨーロッパやアメリカには日本のような温暖で多湿な気候が少なく、日本ほどカビは生えません。カビが身近ではない分、どうしても感染症などを引き起こす悪者として見られることがあります。ですから、カビを飼い馴らそうという発想も出てこず、麹菌の研究も進みにくいのです。
カビの違いで生まれるチーズの多彩な味わい
もちろん、カビを使った食品は、欧米にもあります。その代表がチーズです。そもそもチーズは保存技術がない時代、牛乳という栄養たっぷりの食品をいかに保存するかと知恵を絞ってできたものです。そのチーズにカビを使い、さまざまな風味を作り出しています。
例えばブルーチーズに使われる青カビは、カビ毒を作らないものが選ばれています。チーズを作るプロセスで一緒に加えると、タンパク質を分解する酵素を作り出し、チーズを熟成させて風味をアップさせます。カビは酸素がないと活動できませんから、チーズを太い針で何度も突いて穴を開け、通気を確保する必要があります。
青カビで作られるブルーチーズ
カマンベールチーズに使われるのは白カビ。これもカビ毒を作らず、やはり熟成を促して風味を高めます。カマンベールチーズは、ブルーチーズと違い、出来上がったチーズに白カビを振りかけます。熟成が進むと内部がトロトロに柔らかくなります。
白カビで作られるカマンベールチーズ
クモノスカビを
使ってつくる中国の醸造酒
日本のお隣の中国では、クモノスカビ(学名:Rhizopus)を使って「紹興酒(しょうこうしゅ)」⋆²を醸造していますよ。浙江省紹興市内の紹興酒の醸造所では、生の穀物を粉にして少量の水を加え、団子状またはレンガ状に練り固め、地下の室に置いておきます。するとすぐにクモノスカビが繁殖し、やがて中心部で酵母が生育してアルコール発酵が始まります。こうして出来上がったアルコールを含んだ醪(もろみ)を絞り、紹興酒などの伝統的な黄酒ができるのです。搾りカスは豚の餌にしますから、環境循環型ですね。
⋆² 紹興酒:クモノスカビを使って造る中国の醸造酒を「黄酒(ホワンチュウ)」と呼ぶ。そのうち浙江省紹興市で造られるものが「紹興酒」と名乗れる。
私の研究室でクモノスカビを育ててみましたが、生育がとても速く、3日もすると直径9cmのプレート全体に毛足の長いカビが充満し、プラスチックの蓋を持ち上げるほどです。
「紹興酒」が入った陶器の甕(かめ)
日本は列島が南北に長く、多彩な気候と四季があるおかげで、世界的に見ても発酵食品の宝庫であり、各地に「ご当地」発酵食品があります。私は旅が好きですが、ご当地の発酵食品を味わうのも旅の醍醐味であり、未知の発酵食品との出合いを楽しみにしています。
⇒前編「顕微鏡も何もない時代、経験と勘を頼りに試行錯誤を続け、発酵文化を作り上げた」
PROFILE: 中島春紫(なかじま・はるし)
明治大学農学部農芸化学科微生物生態学研究室
東京大学大学院農学研究科博士課程修了。農学博士。東京工業大学助手、東京大学大学院農学生命科学研究科助教授、明治大学農学部農芸化学科助教授を経て、2007年から同教授(現職)。パン酵母、有機溶媒耐性細菌などの研究を経て、現在は麹菌が作るタンパク質であるハイドロフォービンの研究に注力する。遺伝子組み換え実験教育の普及、食品安全行政、国際生物学オリンピックなどにも取り組んでいる。発酵食品を愛し、本格焼酎の中では麦焼酎を好む。