後藤 健太

「Bar Goto」「Bar Goto Niban」オーナーバーテンダー

Kenta Goto, owner-bartender at Bar Goto and Bar Goto Niban

【前編】世界で最も厳しい(本物がしのぎを削る)ニューヨークのバーテンダーとして

Bar Goto」「Bar Goto Niban」のオーナーバーテンダーの後藤健太さん。名門「Pegu Club」のヘッドバーテンダーとして、2011年にTales of the Cocktail®2011の「Spirited Awards®」において「American Bartender of the Year(バーテンダー最優秀賞)」を受賞。同賞を受賞した唯一の日本人です。アメリカで活躍する日本人バーテンダーの主要な存在としてトップを走り続ける後藤健太さんご自身のこれまでの歩みやバーについてお話を伺いました。

⇒後編「日本とは違い、ニューヨークではバーが日常生活の中に浸透しています」

文:菅礼子 / 写真:三井公一 / 構成:Contentsbrain 
取材場所:Bar Goto Niban(474 Bergen St, Brooklyn, NY 11217, USA)

 

 


アルバイトでやりがいを覚え、バーテンダーとして生きていくことを決意

――バーテンダーのお仕事を始めた経緯を教えてください。 

1997年にアメリカに来ました。ニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)に通い、2年制の学部を卒業しました。在学中はパタンナー⋆1の勉強をしていたので、卒業後は服飾関連の就職口はたくさんあったのですが、いただけるお給料では生活できないと思ったんです。このまま日本に帰りたくないという気持ちもあったので、生活のためにバーの世界に飛び込みました。

 

★1パタンナー:ファッションデザイナーのデザインを型紙(パターン)に起こす専門職。

当時のニューヨークでカクテルを専門にしているバーというのは「Angel's Share」か「Milk & Honey」ぐらいしかなくて、レストランにバーが付いている業態がほとんどでした。バーテンダーはほとんどがアルバイトで、本業でやっている人は少なかったように記憶しています。

 

Kenta Goto, owner-bartender at Bar Goto and Bar Goto Niban

Bar Goto」「Bar Goto Niban」オーナーバーテンダーの後藤健太さん

僕もまずは生活費を稼ごうとアルバイトでレストランに併設されているバーでバーテンダーを始めました。アルバイトながら懸命に働いていく中で、このバーテンダーという仕事の特徴が見えてきました。その一つは、自分の仕事の成果をすぐに見ることができる(実感できる)点です。お客様の反応を見ることができて、サービスや商品を気に入ってもらえればその喜びが伝わってきます。

毎日いろんな人と出会えるのもとても楽しくて、そのうち何人かは自分に会うために通ってくれるようになるんです。そうして徐々に常連さんになってくれる様子を見るのは、とてもうれしいものでした。日本からきた私にとって、それはニューヨークに受け入れられたような気がしました。それが、バーテンダーとしてもっと頑張りたいと思わせてくれたきっかけです。

ちょうどその頃、ニューヨークでは「クラフトバーテンディング⋆2」というものが注目され始め、バーテンダーをキャリア(本業)として取り組む意識を持った人が増えてきていました。

 

⋆2クラフトバーテンディング:1990年代後半からニューヨークのバーを中心に世界に拡がっていったカクテルづくりの新潮流。
バーテンダーは磨かれた技術と高品質の材料で伝統的なカクテルレシピをブラッシュアップしたほか、手作りのシロップやフレーバー、新しい材料を用いたオリジナルカクテルを提供して人気を集めていった。

人生を変えるほどの衝撃を受けたバー「Pegu Club」との出合い

本業でバーテンダーをしている方に会ってみると、自分とは全くレベルが違うことに気づかされたんです。例えば週4日くらいお店で働いて、週2日くらい自分でパーティーなどのイベントの仕事を取って来て、ニューヨークで生活するのに十分なお金を稼ぐ。バーテンダーの仕事が本業として成り立つことを知ったときは、本当に衝撃的でした。彼らからこれを読むといいよとカクテルの本を教えてもらったりしました。

そこからですね。自分からのめり込むように勉強するようになって、日本でも東京・銀座の「スタア・バー・ギンザ」のオーナーバーテンダー岸久(きし ひさし)さんや、「テンダー」のオーナーバーテンダー上田和男(うえだ かずお)さんの本があることに気づいて読み込んだり、あるいはその2人のYouTubeを見たりしてその考え方や、カクテルのつくり方とかの研究に没頭しました。

The bar counter at Bar Goto Niban

Bar Goto Niban」のバーカウンター

2005年の夏に私の人生を変えるきっかけになったバー「Pegu Club」がオープンしました。2006年に一般客として行った時にまさに衝撃を受けたんです。お店の空間からバーテンダーのシェイクの振り方ひとつまで、もちろんカクテルのクオリティーも文句なしでした。オーダーしたカクテルはどれも美味しくて、ここで働きたいと強く思いました。

当時、「Pegu Club」と言えばバー業界の中で一番注目の存在で、カクテルと言えば必ず名前が一番先にあがる存在でした。メディアにも取り上げられ、飲食業界の人も多く来店するなど、影響力のあるバーでした。

現在、全米のみならず世界の大都市で見かけるカクテルメニューの大半は、いわゆるモダン・クラシックというスタイルです。昔からあるスタンダードなカクテルの形は崩さず、でも現代風に進化させたというスタイルで、これを普及させた一人がオードリー・サンダースでした。当時は、まだモダン・クラシックという呼び名も付いていませんでしたが、彼女はその草分けのひとりです。

 

――「Pegu Club」との運命的な出合いですね。 

当時の自分はバーテンダーを本業にしていくことを考え始めた頃だったので、ニューヨークでトップを目指すなら自分を成長させる環境に身を置かないといけないと考えていました。

Pegu Club」で働きたいという思いを抱えていた頃に、たまたま2006年の終わりにバーテンダー募集のオンライン広告を見つけたんです。その求人広告にはバーの名前が書かれていなかったのですが、これは「Pegu Club」かもしれないとピンときたんです。

 

Kenta Goto, owner- bartender at Bar Goto and Bar Goto Niban
Bar Goto」「Bar Goto Niban」オーナーバーテンダーの後藤健太さん

応募資料を送ってから3日くらいして、まさしく「Pegu Club」のオーナーバーテンダーのオードリー・サンダースから面接の連絡がメールで来ました。面接に行った時はガチガチでした。1週間後、2回目の面接のような形で、オードリーが突然私の職場に現れ、その場でカクテルをつくるように言いました。彼女が注文したのは、私が働いていた頃、誰も注文したことがない「ジン・サワー」でした。当時はあまり一般的なオーダーではありませんでした。私はジン・サワーをつくって彼女に提供しました。

彼女は味見もせずに「どのジンを使ったの? その理由は?」と尋ねました。その質問に備えておらず、あまり良い答えをできたとは思えません。彼女が私に何を見たのかは分かりませんが、「週1でいいなら来ていいよ。それで私がどうやってカクテルをつくるのか、そのプロセスを全て見せて、なぜそうなるのかを説明してあげましょう」と言われました。そうして20071月から念願の「Pegu Club」でのキャリアがスタートしました。

襟付きのシャツにネクタイ、ベストがユニフォームで、それを受け取って初めて袖を通しました。日本のプロ野球選手がメジャーリーグの入団発表の時にユニフォームをスーツの上に着るじゃないですか。「Pegu Club」の制服を着た時に勝手にそんな感覚になりました。最初は週に1回のシフトしかもらえませんでしたが、それでも本当にうれしかったです。それはこの業界への第一歩であり、私の未来にとって大きなチャンスでした。

数年後に「Pegu Club」のヘッドバーテンダーにもなり、7年間働きました。私はたくさんのドリンクをメニューに追加することができて、メディアからの注目を集め、顧客基盤を築くことができました。そして、201312月には、自分のバーを開く準備を始めました。

 

――そうしていよいよ独立されて、20157月、マンハッタンに「Bar Goto」をオープンされましたね。

Bar Goto Niban. A golden Japanese painting hangs behind the bar counter, producing a stylish Japanese ambience.

Bar Goto Niban」にて。バーカウンターの背景にゴールドの日本画を配置してお洒落でかつ日本を感じられる雰囲気を演出している

内装では、どちらもウォルナット(くるみ)の木材を使ったバーカウンターと、装飾にはところどころにゴールドを使っています。「Bar Goto」には私の祖母の着物を飾り、「Bar Goto Niban」のカウンターにはゴールドの日本画を使うなどして、視覚的にも日本を感じられる演出をしています。

⇒後編「日本とは違い、ニューヨークではバーが日常生活の中に浸透しています」


Kenta Goto, owner-bartender at Bar Goto and Bar Goto Niban

後藤 健太(ごとう けんた)

「Bar Goto」「Bar Goto Niban」オーナーバーテンダー
千葉県千葉市出身。ニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)を卒業後バーテンダーの道へ進む。2008年1月からニューヨークの人気バー「Pegu Club」(2020年閉店)に勤務し、2011年7月には世界最大規模のカクテルの祭典「Tales of The Cocktail 2011 Spirited Awards®」にて「American Bartender of the Year(バーテンダー最優秀賞)」を受賞。同賞の受賞は、現時点では日本人では唯一となる。2015年7月、ニューヨークのローワー・イースト・サイド地区に「Bar Goto」をオープン。2020年1月、ブルックリンに「Bar Goto Niban」をオープンする。実家でお好み焼き店を営んでいたこともあり、「Bar Goto」で出すお好み焼きが人気を呼び、いまでも定番メニューのひとつ。

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