サンフランシスコの人気バー「Pacific Cocktail Haven(P.C.H.)」は2017年にオープン。それ以来、立て続けに「The World’s 50 Best Bars」、Tales of the Cocktail®の「Best American Cocktail Bar」「Best American Bartender」を受賞し、今もなお毎年アワード上位の“常連”です。オーナーバーテンダーのKevin Diedrichさんは、米国で早い時期から本格焼酎を使ったカクテルをメニューに入れて人気を得ていました。
⇒ 後編「見返りを求めずに人々をもてなすことは、特別なアートを築くことだと思う」
文:鈴木昭 / 写真:三井公一 / 構成:Contentsbrain
取材場所:「Kenji」と「Loa Bar」(どちらもInternational House Hotelの1階221 Camp Street New Orleans, Louisiana 70130, USA)
麹由来の風味や香りは他のスピリッツとは異なる特徴ですね。うまみがとても味覚を刺激するような。それがすごく素敵な組み合わせを生みます。麹の味覚を刺激する風味(セイボリー)は、他のスピリッツにはないものです。その独特の風味があるので、いろいろ試してみるのがとても楽しいお酒です。
カクテルに使ったときの反応はいいと思います。カクテルという彼らに馴染みのあるものを通じて、その中で本格焼酎の麹特有の要素や爽やかさを味わってもらうことで、アメリカのお酒好きの人にとっても魅力的でそそられるものになるのだと思います。
今はアメリカでも味噌や醤油、塩こうじなどの調味料に麹菌による発酵が作用していることが、一般の消費者に浸透してきていると思います。さらに、スピリッツのアルコール分は、糖に酵母という微生物が作用して造られるということも知られてきています。本格焼酎の場合、このアルコール発酵の前段階で、麹菌という微生物が作用してでんぷんを糖に作り替えます。そのあたりを順を追って説明すれば、麹菌による発酵についての違和感も払しょくできると思います。
そうですね。まずバーテンダーが知識を得る必要があります。バーテンダーがきちんと知ることで、バーテンダーからお客さんにお話をして、お客さんにも知識を広げることができます。
実は私の妻が日系ハワイアンであることもあり、東京にもよく行っていたので、それまでにも、いろいろな種類の本格焼酎を飲んだ経験がありました。初めての本格焼酎の印象は、麹の香りによって、少し日本酒を思い起こしました。もちろん日本酒と味は違いますが、とても味わい深かった。日本で飲んだ時にはほとんど炭酸割りやストレートだったので、本格焼酎を使って新しいカクテルを作ることはチャレンジでした。
実際にカクテルを作ってみると、他のスピリッツにはない独特な個性が感じられて、とても気に入りました。私は何か他と異なる独特なものを見つけると、それについて熟考して、その風味(フレーバー)を理解するために、何度も何度も試します。もともと私は馴染みのないものをどう使うか試すことがとても好きなんです。
すごく長い話になりますが……。いや、簡単にお話しすると、私はもともと、ITやコンピューター関係の仕事を5年ほどしていました。ネットワークの集中管理をする技術者でした。ランプがついた大きなアメリカの地図がある部屋にいて、ランプが緑から赤に変わるとすぐにその州に連絡をして、問題の対処をする仕事です。まだ20、21歳だった頃の話です。
私はワシントンD.C.で育ったのですが、私のルームメイトでもあった親友はDJをやっていて、当時私が付き合っていた彼女はバーテンダーでした。彼らと、それはもう毎晩のようにパーティーをしていました。すごく楽しくて、自分もバーの仕事をして生きたいと思い、エンジニアの仕事を辞めてバーテンダーの学校に行きました。けれども、実際にバーで働いた経験がないことから、仕事がなかなか見つからなかった。その時に彼女の知り合いの紹介もあって、最初のバーの仕事をワシントンD.C.のリッツ・カールトンで得ました。
はい、それが始めです。まだ僕は22歳くらいの子どもでした。リッツ・カールトンのほかに、週末はナイトクラブでも働きました。ただただ楽しかったからやっていました。しばらくして(リッツの)飲料担当マネージャーからカクテルもつくるようにと言われたのですが、私はカクテルについてまだ深くは知らなかったのです。
そこで、関連する本を読んだりして学んでいきました。すると、自分がカクテルだけではなくそもそもスピリッツのこともあまり知らないということに気づきました。そこで、ワシントンD.C.以外の都市に出かけてはバーやカクテルの研究をするようになり、そうこうするうちにサンフランシスコに移ってスピリッツやバーテンダー業をさらに深く学ぼうと決めました。
ニューヨークやシカゴなどたくさんの都市を見て回りました。ですが、私は東海岸で育ったので、全然違うところに行ってみたかったんです。それでサンフランシスコのリッツ・カールトンに異動させてもらいました。2007年に、片道切符を買って、バッグ3つ分の自分の持ちものをすべて持って、サンフランシスコに引っ越しました。その後、ワシントンD.C.に戻り、次にニューヨークに移り、またサンフランシスコに戻ってから、独立して自分のお店である「Pacific Cocktail Haven(P.C.H.)」の開店に至りました。