with Bartender|WA-SPIRITS

Danil Nevsky

作成者: WA-SPIRITS|2025/11/12 5:23:41

バーにはAIやロボットと代わることのできない会話、コミュニケーションがある

バー業界の情報を発信する教育プラットフォーム「Indie Bartender」を創設し、世界中のバーテンダーに向けて有用な情報を発信し続けているDanil Nevsky(ダニル ネフスキー)さんは、2024年にTales of the Cocktail® Spirited Awards® で「Best International Bar Mentor」を受賞。いまや教育者としても名を成すDanilさんに、バーテンダーになった経緯やバーテンダーのコミュニケーション・スキルの重要性について伺いました。

文:鈴木昭 / 写真:三井公一 / 構成:Contentsbrain
取材場所:「Loa Bar」(International House Hotelの1階221 Camp Street New Orleans, Louisiana 70130, USA)

 

 

演劇とホスピタリティー業界の接客には共通点がある

――Danilさんはどちらのご出身ですか。

私のルーツはユーラシア大陸、ロシアの方です。私自身は世界中放浪してきて、いろいろなところに住みました。イングランド、スコットランド、オランダときて、今はスペインに住んで7年になります。それ以前に、ロシアやウクライナにも住んだことがあり、家族の半分は今もウクライナにいます。

――バーテンダーを志したのはいつ頃、どちらに暮らしていたときでしたか。

15歳の頃、家族でスコットランドに移住しました。異性に興味を持ち始めた頃で、ある女の子を映画に誘いたかったのですが、私たち家族は移民でお金に余裕がなく、父から「自分で稼いでこい」と言われました。そこで、週末はスコットランドの結婚式場でアルバイトをするようになりました。私はもともと俳優志望で、幼い頃から演劇を学んでいました。そんな私にとって、バーテンダーや、レストランのウエーターなど、人に対面で接するホスピタリティー業界⋆の仕事というのは、舞台に立つことと似ているなあと感じていました。


⋆ ホスピタリティー業界: ホテルやレストラン、バー、レジャー施設などを含むお客様への接客を軸としたサービス産業の総称。

そこではペルソナ(表向きの人格)をつくり、新しい役になり切るという自由があります。特に結婚式場の場合、お客様はほぼ一度きりしか会うことのない人たちですから、その都度新しいペルソナを試すことができます。その行為が自分自身をより理解するのに役立つことに気がつきました。まるで、行ったことのない場所を旅すると、自分自身をより深く知ることができるのと同じように。

こうした、ホスピタリティー業界特有のお客様に直接対面する仕事の中で、自分自身を見つめて自らの役柄を演じながら、役割を果たしていくところに魅かれ、次第に身近なものにもなっていきました。とりわけバーテンダーが周囲からも注目を集めていて、とても楽しそうに見えたので、自分もいずれバーに立ちたいと思うようになりました。

大学に入学し、18歳からバーでアルバイトを始める

スコットランドの大学に入学して、昼間は勉強、夕方からはパブでアルバイトをしていました。スコットランドでは18歳から酒場の仕事ができるようになります。まずはフロアスタッフ、そしてバーテンダーの見習いから始めました。当時、住んでいたスコットランドのアバディーンという都市は石油工業が盛んで、多くの白系ロシア人のエンジニアや工員たちが働きに来ていました。

彼らの多くは英語が話せず、私は英語とロシア語が話せました。そこで、バ―のオーナーから言われました。「よし、お前は彼らと話せてコミュニケーションがとれる。バーテンダーになっていいぞ」とね。それが私の人生の大きな転機となりました。

ある土曜日の夜、マネージャーから、「スタッフに病欠が出たので、明日、昼間のシフトに入ってもらえないか」と頼まれました。ふだん日曜日は働かなかったのですが、「オッケー、まあなんでもいいよ」という軽い感じで引き受けました。私は夜間担当だったので、昼間のマネージャーには会ったことがありませんでした。そのマネージャーは「シフトの30分前には来てください。あと、コーヒーと紅茶はどうしますか? 卵はどう食べるのが好きですか?」と私に聞きました。私は、「なんだろう?」という感じでした。

私は若く、愚かだったので、前夜飲みに行き、家に帰るのが遅くなり、指定の時間に遅れてしまいました。シフトの時間には間に合ったのですけれどね。マネージャーは不愉快そうでしたが、「まあ、いいよ」と言いました。私が到着したときには、私の紅茶は冷たくなり、卵も冷たくなっていました。彼は私にお茶とごはんを用意してくれていて、そこに新聞が置いてありました。

英国では日曜日の新聞は分厚くて、劇場やスポーツや地域情報などがたくさん載っています。「いいから、座ってその新聞を最初から最後まで全部読むんだ。なぜなら正午に開店したら常連さんがやって来る。彼らは既に新聞を読んでいて、それについて誰かと話がしたいんだ。このパブはそういう場所だ」と彼は言いました。常連客のために、バーテンダーは常に準備をして、彼らとのコミュニケーションに応えるという義務を果たす責任があるということ。

カクテルをつくるだけではない、バーテンダーの責任

つまり、常連客の話題についていけなければ、私はバーテンダーではいられないということです。サッカーが嫌いだろうが、演劇に興味なかろうが、関係なし。それがそのマネージャーの教えであり、私が、ただカクテルをつくるだけではない、バーテンダーの責任について理解するきっかけでした。お客様のニーズに対して私が負うべき責任です。お客様の情緒面に対する責任とも言えます。

――そのアルバイト経験から大きな影響を受けたんですね。

そうですね。人間は成長期により影響を受けやすいものだと思います。そしてスコットランドにいた時が私のバーテンダーとしての一番の成長期だったと思います。その後、世界中を旅して回りました。日本でバーカウンターに入って働いたこともありますよ。2012年頃です。

――なんというお店ですか。

東京・銀座の「BAR ORCHARD GINZA(バー オーチャード ギンザ)」です。これまでに何度も「Asia’s 50 Best Bars」に選ばれていて、オーナーは宮之原拓男(みやのはら たくお)さんと奥様の寿美礼(すみれ)さんという方です。私はおふたりに、あるカクテルの国際大会で出会い、仲良くなりました。桜の時期に日本を訪れて、日本の北に位置する蒸留所にも行って学んだり、もっと日本を知るために旅をしました。その後はバーテンダーとして評価をいただけるようになり、通常自分のお金では高くて行けないようなところにも旅をすることができるようになりました。

――演劇の感覚で始めたホスピタリティー業界に適性があったんですね。

私が好きでよく使うフレーズに、「人はバーに足を踏み入れると、世界を発見する」というものがあります。分かりにくくて日本語に訳しにくいですかね。「もしも男がバーに足を踏み入れたら、なんちゃらかんちゃら」、というバージョークの定型に乗せたフレーズです。

私がこのフレーズを繰り返すのには理由があります。バーには世界中から集められたたくさんのボトルがあり、そのすべてのボトルに歴史と物語、何か話の種になるものがあります。物語性があり、演劇的です。それらのボトルのデザインは単純に私にとって美しく、大切で、ストーリーは心に響きます。私は、バーカウンターに入り、お酒の物語と共に、お客様と交流することこそが楽しいのです。それが私の好きなことです。

――長い間バーテンダー、そしてバーメンターのお仕事を続けてこられて、お客様がバーに求めるものに何か変化はありますか。

「はい」と「いいえ」です。今はインターネットもあり、SNSもある。そのため、理論的には現代の人々は最も緊密に世界と繋がっています。その反面、皮肉なことに、現代の人々は、リアルな世界では最も人と繋がりのない状況に置かれています。

私たちはスマートフォンのおかげで、いつどこでも、なんでも好きなことを知ることができます。バーに訪れた人がスピリッツやカクテルに興味があれば、彼らはもう既にネットから十分な知識を得ています。私たちバーテンダーは、もはやその情報の門番ではなくなりました。今や誰もが知識を得られます。それは良いことです。

「Tales of the Cocktail® Spirited Awards® 2024」でDanilさんは「Best International Bar Mentor」を受賞した

こうした変化の中で、私たちバーテンダーは成長する必要があります。もちろんプロとしての在り方はどこの国に住んでいるか、お客様との交流の仕方によっても異なります。それでも世界共通でこれまでも、これからも変わらないことがあると私は信じています。

日本にも社交の場としてのバーがありますよね。その店がその場所に10年、15年、20年と存在していると、そこは地域の一部になります。ただの一個人の店ではなくなるのです。そこには常連さんがいて、関係性が構築されています。そこらへんにできたばかりのハンバーガーのチェーン店とは訳が違うんです。そこでは交流があり、議論が繰り広げられ、AIやロボットやほかの何とも代わることのできない会話、コミュニケーションがあります。

シェイクやステアの仕方、注ぎ方などのスキルは本当にやる気があれば、極端に言えば100万回繰り返せば、完璧に美しくできるようになるでしょう。しかし、人とのコミュニケーションや会話のスキルを身に付けることはよほど難しいです。

人と人との距離や対面角度にも気を配ることの重要性

例をお見せしましょう。ちょっとしたお遊びです。立っていただけますか? これはエネルギーについての実験です。いいですか。例えば、今、私とあなたは向かい合っています。この距離間では、私たちは何も問題ないですよね? では、お互いに一歩近づいてみましょう。ちょっとだけジリジリしてきますよね。もう一歩、小さい一歩、近づきましょう。もう燃えそうですよね。

それではお互いに45度向きを変えましょう。もうプレッシャーがありません。お互いが真正面で向かい合っているときは、エネルギーが直接的で、ともすると何か起きそうな感じ。でも向きを変えるとお互いに楽になります。だから人が横に並んで煙草を吸いながら話をするというのは居心地が悪くないんです。これはどこででもできる面白い実験です。そうしたことを、バーテンダーは旅をしながら、会話をしながら、コミュケーションをとりながら身に付ける必要があるんです。

――Danilさんがバーテンダーとして実際に経験して会得してきたスキルを今は後進に伝えているんですね。

はい。バーテンダーを育てるにあたって、重要なのは対人コミュニケーションのスキルだと教えています。英国ではお客様と会話ができなければバーテンダーとしては不合格です。会話をせず、ただ、見ているだけで相手のことを知るのはとても難しいのです。その人に話しかけるなど、なんらかの働きかけをすることで、その人となりを知ることができるようになります。バーテンダーはそれをできる必要があります。

あなたがバーカウンターの中に立ったとき、バーカウンターの上だけでなく、店内全体に対して責任が生まれます。お客様が座るときにどう感じるかもあなたに責任があります。すべてを見て、そのバランスについて管理するべきです。ムード、音楽、照明。ドリンクの提供は重要ですが、バランスはカクテルだけのことではなく、お客様の中にあるんです。

「お、あそこの人たちが酔っ払って騒がしくなっているな。デートで来ているカップルは親密な時間を過ごしたいだろうから、あのテーブルの隣には案内しないよう気を付けよう」とか。そうした管理は難しいことですし、完璧な「ギムレット」をつくることよりもよほどバーテンダーにとって重要なスキルですよ。

――最後に、本格麦焼酎「iichiko彩天」をカクテルに使ってみた印象を教えてください。

私は以前に本格焼酎を飲んだことはありましたが、初めて「iichiko彩天」を飲んだ時にはとても驚きました。「おぉ、私好みのものが来た!」という感じでした。私が今まで味わってきたどんな味わいとも異なる、とてもユニークな風味が感じられます。これはスピリッツの世界で地位を確立するには、とても重要なことです。

ふだん私たちがカクテルで話題にするのはたった5種類の主要なスピリッツですよね。ジン、ウイスキー、ウオッカ、テキーラ、ラム。ですが私は、「iichiko彩天」はスピリッツの新たな主要カテゴリーとなる可能性があると考えています。なぜなら、5種類のカテゴリーのどれとも類似していない独特の風味があり、独自性を確立できているからです。スピリッツの激しいブランド競争の中でこうした個性を持つことは、本当に重要なことだと思いますよ。「ジンのような」とか「ウオッカのような」とか、何々のようなと言われたらその他大勢に埋もれてしまいますから。

「iichiko彩天」をカクテルに使ってみた印象ですが、メインのスピリッツとして使えるし、アルコール度数が高いので他の材料に紛れず、本格焼酎のユニークで多様な風味も味わえます。「ついに使える焼酎を手に入れたぞ」と感じました。